の続きです。
おじいちゃんが休暇を中止して慌てて参加することになった戦い↓
おじいちゃん達ドイツ兵が井戸のそばに集まった瞬間、すぐそばの民家から手りゅう弾を投げ込んできたのは、なんと女性のパルチザンだったそうです。
明日の記事はかなり残酷な展開になるので、閲覧注意でお願いします。
どうしても厳しい話の展開が多くなっちゃうので、ここでぱんてゃのフランスでのおいしい思い出で空気を和ませる↓
「48.誰?凱旋門でアングリーバードしてる人?」

↓ギリギリ生き延びたおじいちゃんに応援のクリックよかったらお願いします!!
(クリックは一日一回有効らしいです!)
コメント
コメント一覧 (12)
戦争のお話、とても、興味深いです。
ところで
×肩身
○形見 ですよー
肩身
だと肩身が狭い になっちゃいますよ。
ぱん田ぱん太
が
しました
戦争経験のない私達は、こういった事実を知らなければなりません。
特に実体験というのは本当に貴重だと思います。
もう同じ過ちを犯してはいけない……
ぱん田ぱん太
が
しました
ぱん田ぱん太
が
しました
ぱん田ぱん太
が
しました
ぱん田ぱん太
が
しました
共に戦地に赴いた仲間たちを、どれほど失くしたことでしょう...戦争が終わっても、おじいさまはたくさんのことを背負って生きていらしたと思います。
ぱん田ぱん太
が
しました
東部戦線からノルマンディー上陸戦まで…よくぞ、その中を生き抜いてこられたものですね。おじいちゃんが生きてくれたからこそ、クリスさんが、そしてフリッツ君がいまここに存在していられるんですもの‼︎
第二次世界大戦についてのドイツからのお話は、どうしてもナチやユダヤ人問題のフィルターがかかってしまって、一般の兵士や庶民がどうすごしていたのかという事は外国からはほとんど知る事が出来ません。(ノーベル賞作家のギュンター・グラスが自伝小説「玉ねぎの皮をむきながら」で、17歳でSS 武装親衛隊に志願した話を公にしただけで、世界中から非難を受けました。まだ幼さも残る17歳に何が出来た訳でなく、戦車隊の小間使いみたいな事をしていただけですが…)
さて、ノルマンディーの上陸戦からいよいよ連合軍が進んで来てドイツ全土が戦場になりますね。日本は沖縄までで、空襲や原爆がありましたが、かろうじて本土での戦争は免れましたが…。
目を背けずに、続きを待ちますね。
ところでカール・オーパ、孫嫁、それも日本人の! のぱんちゃんが、こうして自分の体験を伝えてくれているのを天国から見て、きっととても喜んでいるでしょうね。
「ワシの幸運をお前たちの上にもタップリ注いでるからな!」と言っている事でしょうね。
ぱん田ぱん太
が
しました
後にドイツ軍人の相手をさせられていた、又は相手をしていた女性達は、同胞に髪の毛を切られたりしたそうです。
戦争はどの国も敵国に非情でした。
ぱん田ぱん太
が
しました
帆が貼られたトラックの荷台にすし詰めになって移動していた道中で、ロシア兵士に引き留められたらしいです。「女を差し出せ」とのことでした。
何人もの女性が同乗していましたが、日本人達はある女性を選びました。
職業は忘れました。居酒屋だったか何か接客業だったと思います。
決して、売春婦ではありません。普通の女性です。未経験者だった可能性もあります。
専業主婦・学生・少女じゃないというだけの理由です。
しばらくして、ズタボロになって女性が戻ってきました。
皆無言で荷台で揺られながら移動を続けたそうです。
その作家さんは「私はそういった女性に負い目がある。そのおかげで無事に帰国できた」、そのような言葉で締めくくられていました。
間違いなく、戦争の悲惨さの一端ではあると思いますが、私は男性への疑問・嫌悪の方が大きかったです。
何故、そうまでして性欲を抑えられないのか、抑えようともしないのか。
平時においても性犯罪は必ず起きます。性欲ではなく、人を痛めつける快感なのだと思う。そして、征服感。
男性から女性に向けた暴力として発動されがち。
ぱん田ぱん太
が
しました