2017年06月28日 126.「戦国武将」の訳し方 辞書で調べてみたところ「お殿様」は「Fürst(領主)」と訳すのがいいみたいです。徳川家康みたいなめっちゃえらいひとって、戦争の時も自分では戦わずにお城の中とかにいるんですよね?(憶測)それでも「戦国武将」って呼ぶんでしょうか?ということは「戦国武将」って別に戦う人ってわけじゃなくて、単に「戦国時代に名を残した人」って意味なんでしょうか?それにしても、外国人は日本の歴史人物は「サムライ」or「ニンジャ」で一括りにしてる節がありますね。↓殿といえばバカ殿しか思い浮かばないぱん太に応援のクリックくださったら嬉しいです!!絵日記ランキング 「パートナー」カテゴリの最新記事 タグ :パートナー歴史語学 < 前の記事次の記事 > コメント コメント一覧 (13) 1. しぃな 2017年06月28日 08:41 戦国武将のなかでも徳川家康はまたちょっと違う所がありますからね。 将軍ってなんて訳すんですかね? 西洋と日本では国の成り立ちが違うから説明するのが難しいんですよねぇ。 陸続きで違う民族が住んでた西洋と違って、武将同士の戦いがあっても農民や商人にとっては領主が変わるだけでしたからね。日本っていう国の意識があったかは別にして、天皇と言う存在があって、その基で暮らす国民には変わりはなかったようですね。 殿のイメージがバカ殿になっちゃうのは仕方ないですねw 金のシャチホコ的な位置に神とおばあを配置すると最強のご加護がありそうですねw 2. ぱん太 2017年06月28日 14:49 しぃなさん、おはようございます~!! ということは…徳川家康さんは全員まとめて「戦国武将」と言われる中の「将軍」というお仕事の人ってことでしょうか!なるほど…! 辞書で調べてみたら「General(軍の大将)」と訳すのがいいみたいです。 日本はやっぱり特殊な国なんですねぇ。島国ゆえかしら…。 しぃなさんお詳しいんですね!!ありがとうございます!! バカ殿様、しばらく観てません…日本にいた時は毎回観てたのになぁ。最近のも観たい…。 金のしゃちほこ…!一番上の屋根についてるやつでしたっけ。その発想は無かった!次回、採用させてくださいww 3. 栗 2017年06月28日 17:28 こんにちは。家康は負け戦の時に脱糞したエピソードがある程、戦に出てますよ~。ついコメントしちゃいました 4. ぱん太 2017年06月28日 18:04 栗さん、コメントありがとうございます~!! なるほど、直接戦うわけではないけど、戦場には赴いていたんですね! お互いの総大将がいなければ戦いになりませんものね。 そして…そのエピソードが気になり過ぎてすぐに検索して、笑いました…「これは味噌だ」と言い放ったという部分が特に…!!(笑) 5. 匿名希望 2017年06月30日 09:38 いつも楽しく拝見しています。 独訳はわからないですけど、英訳だと戦国武将はロード(warlord)とか? 家康さんの将軍はモナーク(monarch?)が適当だった気がしますが如何でしょう?ジェネラル(general?)だと王様(king?)の部下感が強くてなんとなく違和感が… で、天皇さんはエンペラー(emperor?)だったと思います。まああの時代だと立場的には教皇(pope?papa?)的役割に近かったのかも… 将軍職を任命するのは表向きには天皇でしたし、ドイツ(神聖ローマ帝国?)の方とかの皇帝の戴冠も教皇が担ってたような…(カノッサの屈辱とか、先例を破って自分で戴冠しちゃったナポレオンとか…) まあ、詳しくないのでよく知らないのですが… 皇帝とか教皇とかの立ち位置は本場のクリスさんが詳しいでしょうから、よかったら聞いてみてください。 6. ぱん太 2017年06月30日 15:43 匿名希望さん、コメントありがとうございます~!! 辞書によると「将軍」は「General(軍の大将)」「Feldherr(総司令官)」「Oberbefehlshaber(最高司令官)」といった訳し方はあるようですが、「Shogun」という日本語をそのまま使うこともある上、「Shogunat(将軍職)」なんていう日本語を元にした造語もあるくらいなので、やっぱり「将軍」という存在が完全一致するドイツ語(外国語全般?)は存在しないのでしょうね…! ちなみに天皇はドイツ語では「Kaiser」と呼ばれています! ただし、「Kaiser」と呼ぶとドイツやオーストリアや神聖ローマ帝国皇帝なども意味することになるので、日本の天皇を指す場合はこちらも「Tenno」と日本語でそのまま呼ばれることも多いですね~。 7. 小雪 2017年07月01日 04:42 ぱん太さ~ん!こんにちは! お久しぶりです! (忘れてたらスルーして下さいw) 実は江戸時代後期~明治初期のちょいオタなんです私(笑) 一つ気になったのが刀の位置! 侍(武士)はみんな刀は左側にさすのでする。 (そうしないと右手で抜けない) あと、日本人が右側通行なのは昔からの名残がちゃんとあって当時刀を左側にさして歩いている時にすれ違いざまに刀がぶつかる事は大変無礼にあたるんです。 ざっくり言うとすれ違いざまに刀がぶつかったら「チッ!ちょい待てやコラ」みたいなw しかし、当時のお侍さんは今で言う役人のような仕事をメインにしていたのですが農民を装って町を歩いてもお侍さん特有の歩き方で、音を出さずに歩き、角を曲がる時はいつ死角から攻撃されても刀を素早く抜けるようにやたら大回りにかつ、直角に曲がる癖が無意識に出ちゃうのでバレバレだったみたいです(笑) お侍さんでも下級武士やお殿様といるのですが長くなるので割愛します(;´▽`A ちなみに、日本人の雑学をもう一つ! 日本ではお店などに入る時に大半の男性が先に入るのですが、これも昔の名残で女性や子供を後ろに行かせて男性が先に行くのもいつでも危険を察知して守るための無意識の本能なんですって(’∀’*) 良く日本人女性は3歩下がって歩くのが理想…何て言葉もありますが、亭主関白的なものではなく並んで歩くと急な戦いになった時に刀を抜く時に危ないのでと、言う意味もあったみたいです(笑) 外国は女性を先に…と優先しますが違いがあり面白いですよね。 えー…また案の定長くなりましたが…汗 あ!ブログ毎日見てはポチッとしてました! これからも楽しみにしておりまする( ๑ớωớ๑)و グッ 8. ぱん太 2017年07月01日 14:45 小雪さん~!!お久しぶりです!! あんなに心のこもったコメントしてくださった小雪さんを忘れるわけないです!! そして…今回のコメントもまた別の意味で感動しました…!く、詳しい…!! まさかそんなピンポイントな時代のファンだとは…!小雪さんが私のブログを見てくださっててよかった!!(笑) 右側通行のルーツがそんなところにあったなんて、本当にびっくりしました!! ということは、ヨーロッパが左側通行なのもやっぱり何か歴史的なルーツがあるんでしょうねえ…深い…! 変装してもバレバレのお侍さん可愛いですwwこれもキュートな歴史ですねえ~。 お侍さんにも色んな種類があるんですね…割愛されたとのことですがぜひ聞きたかったです…!!「お殿様」もお侍さんのジャンル(?)の1つであるということでしょうか!? 確か、日本では「日本人もヨーロッパのレディーファーストを見習え!」なんて言う人もいるんですよね? その「男性が先に…」のルーツを考えると、日本は日本なりのレディーファースト(女性を優先的に守る)文化を保ってきているんですよねえ。 海外の真似をすることばかり推奨せず、日本らしさを大事にしていってほしいですね…! 小雪さん、本当にありがとうございました~!! これからも頑張ります!! 9. なし 2017年10月12日 12:07 うっ…。歴史好きの私としましては、詳しく説明しに行きたい衝動に駆られる記事でしたw 他国語に翻訳するのは難しい単語は各国ありますもんね。それこそドラえもんに翻訳コンニャクを出して貰いたいですわ。 10. ぱん太 2017年10月12日 16:56 わ~!!なしさん、歴史好きな方でしたか!! 同じく歴史好きのクリスと語ってもらえたら盛り上がりそう!!(笑) 私知らないことだらけなので、ぜひ次回は気が向いたら語ってください…!! 歴史に限らず、「この日本語どうやってドイツ語に翻訳したらいいんだ~!?」という時は真剣に欲しくなります、翻訳こんにゃく……。 11. ぱん友 2019年10月03日 22:27 今2019年ですが、読んでいてとても気になったので。 徳川家康も武士(侍)で合ってますよ。 家康が武士の王様も、合ってます。 また、武士の王様には、''征夷大将軍"と言う肩書きを天皇から授かることで、初めてなれます。 つまり、徳川家康は 長く続いた侍同士の戦い(戦国時代)の勝者となり、 その後、当時の天皇から 武士の王様である 征夷大将軍の肩書きをもらいました。 これで、名実ともに全ての武士の王様です。 征夷大将軍は、他の侍達よりも偉いので、幕府を開いて国を治められます。 こうして、徳川キングダム(徳川将軍)が日本を統治する江戸時代が始まりました。 12. ぱん友 2019年10月03日 22:28 長くなってしまうので分割させていただきます。 ちなみに、昔々の日本は 天皇家が直接 国を統治していました。大和朝廷とゆーやつです。 このスタイルは長い歴史の中でどんどん変わっていきます。 貴族の実力者が 天皇の親戚になり政治を行ったり(藤原氏と平安京)、 貴族よりも軍事力のある地方豪族(武士)が出てきて、幕府を開いて政治を行ったり。(源頼朝と鎌倉幕府。※源頼朝も当時の天皇に、全ての武士の親分である征夷大将軍に任命してもらっています) だんだん、天皇は飾り(象徴)だけになり、政治の中心から外されていくんですね。 しかし、天皇家の血筋は絶えることなくずっと続きます。 そして徳川家康が幕府を開いて200年が経った頃、 外国から「鎖国をやめて港に我々の船をとめ、貿易しなさい」と言われた徳川幕府は、黒船の大砲にびびって超弱腰対応。言いなりになって、日本がめっちゃ損する不平等な貿易ルールにok出しちゃいました。 これに怒ったのが、当時のインテリ層である武士達です。「このままじゃ日本はダメになる。こんな腰抜け幕府は倒して、昔々みたいに天皇に王様として政治をしてもらおう!」とゆー動きが武士の間で強まり、ついに革命が起きました。 当時の将軍、徳川慶喜は、日本の統治権を天皇に返しました。(大政奉還と言います) こうして武士達の革命は成功し、徳川幕府は終わり=武士の王様が日本を支配する政治体制も終わりました。 その後、天皇中心の近代国家として、新しい日本をつくる為に 革命の中心になっていた人達が明治政府をつくり、明治時代になります。 13. カピ 2021年08月20日 13:56 初めまして、最初から楽しく読ませていただいてます! いまさらなので参考にはならないと思いますが、私は英語がいまいちの中、会社の同僚に聞かれて食物連鎖の図で表しましたね(笑) 一番上が天皇で、一番下が農民、で、武将はここで…みたいな感じです。
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将軍ってなんて訳すんですかね?
西洋と日本では国の成り立ちが違うから説明するのが難しいんですよねぇ。
陸続きで違う民族が住んでた西洋と違って、武将同士の戦いがあっても農民や商人にとっては領主が変わるだけでしたからね。日本っていう国の意識があったかは別にして、天皇と言う存在があって、その基で暮らす国民には変わりはなかったようですね。
殿のイメージがバカ殿になっちゃうのは仕方ないですねw
金のシャチホコ的な位置に神とおばあを配置すると最強のご加護がありそうですねw
ということは…徳川家康さんは全員まとめて「戦国武将」と言われる中の「将軍」というお仕事の人ってことでしょうか!なるほど…!
辞書で調べてみたら「General(軍の大将)」と訳すのがいいみたいです。
日本はやっぱり特殊な国なんですねぇ。島国ゆえかしら…。
しぃなさんお詳しいんですね!!ありがとうございます!!
バカ殿様、しばらく観てません…日本にいた時は毎回観てたのになぁ。最近のも観たい…。
金のしゃちほこ…!一番上の屋根についてるやつでしたっけ。その発想は無かった!次回、採用させてくださいww
なるほど、直接戦うわけではないけど、戦場には赴いていたんですね!
お互いの総大将がいなければ戦いになりませんものね。
そして…そのエピソードが気になり過ぎてすぐに検索して、笑いました…「これは味噌だ」と言い放ったという部分が特に…!!(笑)
独訳はわからないですけど、英訳だと戦国武将はロード(warlord)とか?
家康さんの将軍はモナーク(monarch?)が適当だった気がしますが如何でしょう?ジェネラル(general?)だと王様(king?)の部下感が強くてなんとなく違和感が…
で、天皇さんはエンペラー(emperor?)だったと思います。まああの時代だと立場的には教皇(pope?papa?)的役割に近かったのかも…
将軍職を任命するのは表向きには天皇でしたし、ドイツ(神聖ローマ帝国?)の方とかの皇帝の戴冠も教皇が担ってたような…(カノッサの屈辱とか、先例を破って自分で戴冠しちゃったナポレオンとか…)
まあ、詳しくないのでよく知らないのですが…
皇帝とか教皇とかの立ち位置は本場のクリスさんが詳しいでしょうから、よかったら聞いてみてください。
辞書によると「将軍」は「General(軍の大将)」「Feldherr(総司令官)」「Oberbefehlshaber(最高司令官)」といった訳し方はあるようですが、「Shogun」という日本語をそのまま使うこともある上、「Shogunat(将軍職)」なんていう日本語を元にした造語もあるくらいなので、やっぱり「将軍」という存在が完全一致するドイツ語(外国語全般?)は存在しないのでしょうね…!
ちなみに天皇はドイツ語では「Kaiser」と呼ばれています!
ただし、「Kaiser」と呼ぶとドイツやオーストリアや神聖ローマ帝国皇帝なども意味することになるので、日本の天皇を指す場合はこちらも「Tenno」と日本語でそのまま呼ばれることも多いですね~。
お久しぶりです!
(忘れてたらスルーして下さいw)
実は江戸時代後期~明治初期のちょいオタなんです私(笑)
一つ気になったのが刀の位置!
侍(武士)はみんな刀は左側にさすのでする。
(そうしないと右手で抜けない)
あと、日本人が右側通行なのは昔からの名残がちゃんとあって当時刀を左側にさして歩いている時にすれ違いざまに刀がぶつかる事は大変無礼にあたるんです。
ざっくり言うとすれ違いざまに刀がぶつかったら「チッ!ちょい待てやコラ」みたいなw
しかし、当時のお侍さんは今で言う役人のような仕事をメインにしていたのですが農民を装って町を歩いてもお侍さん特有の歩き方で、音を出さずに歩き、角を曲がる時はいつ死角から攻撃されても刀を素早く抜けるようにやたら大回りにかつ、直角に曲がる癖が無意識に出ちゃうのでバレバレだったみたいです(笑)
お侍さんでも下級武士やお殿様といるのですが長くなるので割愛します(;´▽`A
ちなみに、日本人の雑学をもう一つ!
日本ではお店などに入る時に大半の男性が先に入るのですが、これも昔の名残で女性や子供を後ろに行かせて男性が先に行くのもいつでも危険を察知して守るための無意識の本能なんですって(’∀’*)
良く日本人女性は3歩下がって歩くのが理想…何て言葉もありますが、亭主関白的なものではなく並んで歩くと急な戦いになった時に刀を抜く時に危ないのでと、言う意味もあったみたいです(笑)
外国は女性を先に…と優先しますが違いがあり面白いですよね。
えー…また案の定長くなりましたが…汗
あ!ブログ毎日見てはポチッとしてました!
これからも楽しみにしておりまする( ๑ớωớ๑)و グッ
あんなに心のこもったコメントしてくださった小雪さんを忘れるわけないです!!
そして…今回のコメントもまた別の意味で感動しました…!く、詳しい…!!
まさかそんなピンポイントな時代のファンだとは…!小雪さんが私のブログを見てくださっててよかった!!(笑)
右側通行のルーツがそんなところにあったなんて、本当にびっくりしました!!
ということは、ヨーロッパが左側通行なのもやっぱり何か歴史的なルーツがあるんでしょうねえ…深い…!
変装してもバレバレのお侍さん可愛いですwwこれもキュートな歴史ですねえ~。
お侍さんにも色んな種類があるんですね…割愛されたとのことですがぜひ聞きたかったです…!!「お殿様」もお侍さんのジャンル(?)の1つであるということでしょうか!?
確か、日本では「日本人もヨーロッパのレディーファーストを見習え!」なんて言う人もいるんですよね?
その「男性が先に…」のルーツを考えると、日本は日本なりのレディーファースト(女性を優先的に守る)文化を保ってきているんですよねえ。
海外の真似をすることばかり推奨せず、日本らしさを大事にしていってほしいですね…!
小雪さん、本当にありがとうございました~!!
これからも頑張ります!!
他国語に翻訳するのは難しい単語は各国ありますもんね。それこそドラえもんに翻訳コンニャクを出して貰いたいですわ。
同じく歴史好きのクリスと語ってもらえたら盛り上がりそう!!(笑)
私知らないことだらけなので、ぜひ次回は気が向いたら語ってください…!!
歴史に限らず、「この日本語どうやってドイツ語に翻訳したらいいんだ~!?」という時は真剣に欲しくなります、翻訳こんにゃく……。
徳川家康も武士(侍)で合ってますよ。 家康が武士の王様も、合ってます。
また、武士の王様には、''征夷大将軍"と言う肩書きを天皇から授かることで、初めてなれます。
つまり、徳川家康は 長く続いた侍同士の戦い(戦国時代)の勝者となり、
その後、当時の天皇から 武士の王様である 征夷大将軍の肩書きをもらいました。
これで、名実ともに全ての武士の王様です。
征夷大将軍は、他の侍達よりも偉いので、幕府を開いて国を治められます。
こうして、徳川キングダム(徳川将軍)が日本を統治する江戸時代が始まりました。
ちなみに、昔々の日本は 天皇家が直接 国を統治していました。大和朝廷とゆーやつです。
このスタイルは長い歴史の中でどんどん変わっていきます。
貴族の実力者が 天皇の親戚になり政治を行ったり(藤原氏と平安京)、
貴族よりも軍事力のある地方豪族(武士)が出てきて、幕府を開いて政治を行ったり。(源頼朝と鎌倉幕府。※源頼朝も当時の天皇に、全ての武士の親分である征夷大将軍に任命してもらっています)
だんだん、天皇は飾り(象徴)だけになり、政治の中心から外されていくんですね。
しかし、天皇家の血筋は絶えることなくずっと続きます。
そして徳川家康が幕府を開いて200年が経った頃、
外国から「鎖国をやめて港に我々の船をとめ、貿易しなさい」と言われた徳川幕府は、黒船の大砲にびびって超弱腰対応。言いなりになって、日本がめっちゃ損する不平等な貿易ルールにok出しちゃいました。
これに怒ったのが、当時のインテリ層である武士達です。「このままじゃ日本はダメになる。こんな腰抜け幕府は倒して、昔々みたいに天皇に王様として政治をしてもらおう!」とゆー動きが武士の間で強まり、ついに革命が起きました。
当時の将軍、徳川慶喜は、日本の統治権を天皇に返しました。(大政奉還と言います)
こうして武士達の革命は成功し、徳川幕府は終わり=武士の王様が日本を支配する政治体制も終わりました。
その後、天皇中心の近代国家として、新しい日本をつくる為に 革命の中心になっていた人達が明治政府をつくり、明治時代になります。
いまさらなので参考にはならないと思いますが、私は英語がいまいちの中、会社の同僚に聞かれて食物連鎖の図で表しましたね(笑)
一番上が天皇で、一番下が農民、で、武将はここで…みたいな感じです。